かぐや姫の物語のすすめ 3 ストーリーの考察
現在公開されている「かぐや姫の物語」の動員数がおもわしくなく、かつ周りの人から聞く評価も悪いように思います。せっかく、千円以上のお金を払って見るのに、「まあまあ、おもしろかった(月並)」では勿体ないと思います。
なので、見に行ったけど、いまいちよくわからなった人や見ようかどうか迷っている人に対して、「どうやって見るか」という視点で少し語ってみます。
下段に行くほどネタばれが増えていきますので注意してください。ただ、この作品の場合はネタばれしても十分楽しめると思います。
映画館に行こうか迷っている人はこのブログを見て「見たくなった」or「DVDレンタルで十分」と思った瞬間にページを閉じてもらって結構です。前者は早めに映画館に行ってもらいたいですし、後者は「かぐや姫の物語」のことを忘れて、来年の夏あたりにレンタルしてください。
これ以降感想に入ります(ネタばれ注意)
前回は映像表現についての話をしました。今回はストーリーの考察を行い、「どうやってかぐや姫の物語を見るか」考えようと思います。
方針
- 映像表現について
- メタ的考察(高畑勲とジブリについて)
- ストーリーの考察
- その他思ったこと
- まとめ
以上の視点から見ていきます。下に行くほど映画を見ないと知りえない情報(ネタばれ)が増えていきます。
前回までは許容されるレベルのネタばれでしたが、今回以降は映画の内容に沿ってまとめているので、見ていない人は自己責任でお願いします。
おそらく、すでに見た人、見るつもりがまったくない人向けに書いています。今後、見る予定のある人は特に注意してください。
ストーリーの考察
物語のプロット(設定)や構成は皆さんが知っている、昔話のかぐや姫の物語(竹取物語)だった。
この部分に関して何らかの形で新しい話があるかと身構えていたが、肩透かしを食らった。だから、はじめて見るときは素直にストーリーを楽しんだほうがいい。
かぐや姫の物語の構造は昔話の機能分類を完全に踏襲している。
詳しくは別の機会で行うつもりであるが、あるシークエンスを除き、ほぼすべての描写がこの機能分類で記述できる。ある意味完全すぎて、退屈に感じる人も生じてしまう。
もう少し正しくいいかえると「完成された構造を持ち、既知のストーリー(みんなが知ってる昔話)である」為に、「平凡」な印象になる問題が生じる。例えば、物語の結末や展開を変えたり、突拍子もないサイドストーリーを加えたりすると退屈さが薄れるかもしれない。(こんなことをすると陳腐な物語になると思うが…)
しかし、これは本質ではない。
かなり、この「かぐや姫の物語」は映画に関するリテラシーの必要な作品なのである。「様々な切り口や立場で映画を見ることのできる人にとっては楽しめる作品」であり、悪い意味で言えば「視聴者の立場で(視聴者が欲しているものを)描いていない作品」でもある。
私の個人的な感想では十分楽しめたのだが、この作品には合っていない見方をするとつまらない。大雑把に言えば、この物語はストーリーを楽しむのではない。描写を楽しむものであり、演出を楽しむものであり、キャラの感情を楽しむものである。
その上で、ストーリーに意味が生じる。この内容についてはネタばれ前提で後日まとめます。