京都創作研究所

マンガやアニメなどの感想を中心に、情報発信していきます 2014年11月30日終了予定

かぐや姫の物語のすすめ 4 ネタばれの総評

現在公開されている「かぐや姫の物語」の動員数がおもわしくなく、かつ周りの人から聞く評価も悪いように思います。せっかく、千円以上のお金を払って見るのに、「まあまあ、おもしろかった(月並)」では勿体ないと思います。

なので、見に行ったけど、いまいちよくわからなった人や見ようかどうか迷っている人に対して、「どうやって見るか」という視点で少し語ってみました。

 

 

 

これ以降感想に入ります(ネタばれ注意)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回はネタばれを含めた総評行い、「どうやってかぐや姫の物語を見るか」考えようと思います。

 

方針

以上の視点から見ていきます。下に行くほど映画を見ないと知りえない情報(ネタばれ)が増えていきます。

前回までは許容されるレベルのネタばれでしたが、今回以降は映画の内容に沿ってまとめているので、見ていない人は自己責任でお願いします。

すでに見た人向けに書いています。今後、見る予定のある人は特に注意してください。 

 

 

 

 

 

総評

芸術作品として

かぐや姫の物語は娯楽作品に違いないが、かなり「芸術作品」や「技術作品」の方向に位置している。アトラクションのように映画館の椅子に座って楽しむ娯楽作品というよりは、自ら(目線で)動き回って鑑賞する美術館のような違いがある。

作品で表現されたテーマなど色々なことを考えながら視聴しなくては楽しめないし、そういう風に余計なことを考えながら視聴しても十分物語の進み方についていける。その理由は完成された構成の基、一つ一つのシーンが丁寧に描かれていたからである。

「地球(異世界)に来た主人公が挫折と成長を経験して月(元の世界)に帰還するストーリー」である。

詳しくは次回に。

 

 完成されていることの問題

アニメの表現の一つ上の次元に引き上げたが、これ以上の展望が絶望的である。技術的には空間の描写や線を生かした表現も発展できるだろう。しかし、作品として「かぐや姫の物語」のような輪郭線を生かした作品ジャンルが生まれるとは思わない。

こんなに手間とお金がかかった作品なのに、商業的には赤字になるだろう。つまり、商業的に続く作品はない完成された映画である。ジブリの資金力と高畑監督のセンス(こだわり)があってこそ成立する。

映画を見ながら、新しい作品を見れた驚きとともに、こういう作品は二度と見れないだろうという切なさも感じた。

 

かぐや姫の物語のテーマとは

風立ちぬは「宮崎駿=堀越次郎」「マンガ映画=飛行機」「映画製作=飛行機設計」という比喩を用いた「宮崎駿の自叙伝」でもある。

しかし、かぐや姫の物語はそういう比喩は明確に表現されていない。だからこそ、普遍的なテーマを投げかけている。このかぐや姫の物語のテーマは現代社会にない本物とは何か」である。

 

リアルなのにリアルでない世界

成長する”たけのこ”は自然を楽しみ、血が出て怪我もする危険な世界(=本物)で過ごす。

一方、映画館で作品を見る視聴者は安全に傍観している。決して入れない世界に対して、私たちはリアルに感じてしまう。このことで苦しめられる。手に届きそうで届かない自然の美しさの表現を目の当たりにした。

 

もうひとつ重要なことがリアルさを感じてしまうことなのである。冷静に考えて、写実的でない水彩画の風景に、頭身がアニメ的なキャラクター達などが存在している。

人が受け取る情報と実際の情報は全く違う。旅行の思い出と実際の写真を見比べると違和感を覚えることがある。思い出補正がかかったり、旅行ガイドなどの撮影技法で美しく見えたりする。かぐや姫の物語の描写は無駄なものを限りなく排除して受け取るイメージを抽象化している。

そして、輪郭線にこだわり受け取るイメージに深みを持たせることを目指している。動画と共に輪郭線が変化すると質感を見つけることができる。高畑監督がこだわった理由はこのことにある。

 

主張がややこしくなったのでまとめると、

  • 芸術作品であり、能動的に楽しむ必要がある
  • 完成された作品でこれ以上の展望は難しい
  • テーマは「現代社会にない本物とは何か」
  • 手に届きそうで届かない自然の美しさが見られる
  • 無駄なものを限りなく排除して受け取るイメージを抽象化