京都創作研究所

マンガやアニメなどの感想を中心に、情報発信していきます 2014年11月30日終了予定

かぐや姫の物語のすすめ 6 物語分析

 

現在、公開されている「かぐや姫の物語」の動員数がおもわしくなく、かつ周りの人から聞く評価も悪いように思います。せっかく、千円以上のお金を払って見るのに、「まあまあ、おもしろかった(月並)」では勿体ないと思います。

なので、見に行ったけど、いまいちよくわからなった人や見ようかどうか迷っている人に対して、「どうやって見るか」という視点で少し語ってみました。

 

 

 

これ以降感想に入ります(ネタばれ注意)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回はネタばれを含めた総評行い、「どうやってかぐや姫の物語を見るか」考えようと思います。

 

方針

以上の視点から見ていきます。下に行くほど映画を見ないと知りえない情報(ネタばれ)が増えていきます。

前回までは許容されるレベルのネタばれでしたが、今回以降は映画の内容に沿ってまとめているので、見ていない人は自己責任でお願いします。

すでに見た人向けに書いています。今後、見る予定のある人は特に注意してください。 

 

 

 

 

 

物語分析

かぐや姫、三つの身分

かぐや姫はわがままでありながら、自制して生きている。終始、背反する二つの性格が混在している。

琴で遊んでいると思ったら、即座に音楽を奏でる。廊下を走り回っていたかぐや姫は、眉を抜き、お歯黒することを受け入れる。高貴な姫として振舞いながら、都の屋敷に作られた偽りの庭で”たけのこ”の姿に戻る。しかし、本音ではこの偽りの庭に対する違和感を持っているが、心の中にそっとしまう。

 

かぐや姫は様々な身分と性格の上塗りで成り立っているf:id:kyosoken:20131209220622j:plain

 

お歯黒などの平安文化を強制されているかぐや姫の本音は、大地を愛する"たけのこ”でありたいと願っている。しかし、ただの田舎者ではなく本質としては月の世界の高貴な身分が染みついている。

その上、そもそも月の住民としての生き方に反発したかぐや姫は大地を愛する”たけのこ”として生まれ変わった。しかし、周囲の人々の期待に従属して高貴な姫として生きる決意をする。

かぐや姫はジブリ的な強い少女に違いないが、終始一貫して我を通すのではなく、他人の心を察し、悩み、自らの本音をしまいこむ。その結果、様々な身分や性格を右往左往する。とても、健気としか言いようがない。しかし、その心が不幸を生む結果となった。

 

翁と媼 男性と女性

翁と媼は対の立場にあり、もうひとつ言いかえると、この話は男と女で対立軸が存在する。

結論では、 媼はかぐや姫のよき理解者であり続けたが、翁の間はコミュニケーション不全に陥る。翁はかぐや姫の気持ちを察することができずに、「高貴な姫」を押しつける。

ただ、生活が変化すると翁は別人に変わってしまうのかという問いに対しては否定している。屋敷での翁は烏帽子をかぶっているが、最初、小屋の梁に帽子をぶつけて落とした。そして、屋敷での生活が慣れてくると、梁の位置で体を落として帽子が落ちないようにしている。この二つのシーンで貴族としての生活が身に付いていることを表現しているが、高貴な方々からの求婚の誘いがあったときに、あわてて帽子を落とす。

翁の本質は鳥烏帽子の似合わない竹細工職人である。しかし、性格が変わらないまま、身分の違う存在ななる夢に惑わされた。

 

かぐや姫は美しい、それゆえの罪と罰

この物語でもう一つ重要な事はかぐや姫が美しいということである。女性として美しくなったかぐや姫は全ての男を惑わし、不幸にさせる(不幸にさせかける)。翁(偽りの立場に満足する)であり、高貴な方々(与えられた難題の未達成と死者1名)であり、御門(プライドを傷つけられる)であり、再会した時の捨丸である。

 

捨丸の例が一番重要なので詳しく解説する。幼少期の”たけのこ”と捨丸の関係に男女の間柄は表面化していない。(多分、盗んだ果物を半分に分けて食べる(禁断の果実)シーンとか、怪我をした捨丸(男の血)の処置をするシーンとか、潜在的な性を描いているような気もするので、再考察する必要もあり。)

しかし、大人になった(初潮を迎えた)かぐや姫の前では捨丸は平気で妻子を捨てようとする。

 

この不倫を思わせるシーンに嫌悪感や違和感を持つ人がいるかもしれないが、意味するものは「かぐや姫の美しさという罪と罰でもある。どんな人格者であっても、美しい物を前にするとそれに惹かれてしまう危うさでもある。 おそらく、捨丸は「かぐや姫」と「妻子」を天秤にかけた上で、「かぐや姫」を選択したというよりも、純粋に目の前にいる美しい女性が困っていることに対して救い出そうという気持ちだけで決意している。イノシシに襲われそうになった”たけのこ”を救った捨丸のように、直感で行動している。

 

風立ちぬとの比較

ジブリの同時公開と言えば、「となりのトトロ」と「火垂るの墓」があげられる。この作品は「家族について」反対の切り口( 再生or 消滅 )であるが描いている。今作品でも比べてみる。

 

   風立ちぬ:

取り返しのつかない世界を取り返そうとする(残り続ける)・・感情のない主人公

   かぐや姫の物語:

取り返しのつかない世界を取り返さない(去る)・・・反省して悩む主人公

 

 「となりのトトロ」と「火垂るの墓」のように明確な対立軸を見つけることはできなかったが、空と大地の違い以上のものは見つけられそうだ。

 

その他

わらべ唱と天人の音楽のはメロディーの違いがあると思うが分析手法を知らない。前者がヨナ抜き音階、後者が律音階である。どういう意図をもって音階を変えたのか。

かぐや姫の物語のすすめ 5 物語の構造

現在公開されている「かぐや姫の物語」の動員数がおもわしくなく、かつ周りの人から聞く評価も悪いように思います。せっかく、千円以上のお金を払って見るのに、「まあまあ、おもしろかった(月並)」では勿体ないと思います。

なので、見に行ったけど、いまいちよくわからなった人や見ようかどうか迷っている人に対して、「どうやって見るか」という視点で少し語ってみました。

 

 

 

これ以降感想に入ります(ネタばれ注意)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回はネタばれを含めた総評行い、「どうやってかぐや姫の物語を見るか」考えようと思います。

 

方針

以上の視点から見ていきます。下に行くほど映画を見ないと知りえない情報(ネタばれ)が増えていきます。

前回までは許容されるレベルのネタばれでしたが、今回以降は映画の内容に沿ってまとめているので、見ていない人は自己責任でお願いします。

すでに見た人向けに書いています。今後、見る予定のある人は特に注意してください。 

 

 

 

 

 

物語構成

プロップの昔話31の機能分類

かぐや姫の物語のすすめ 3 ストーリーの考察 - 京都創作研究所

の記事で述べたように、

ウラジーミル・プロップ - Wikipedia

の昔話31の機能分類を用いて分析する。この 機能分類を簡単に説明すると「昔話を分析すると共通する構成要素によって成り立つ」という理論(仮説)です。多くの物語は「日常で生活する主人公が異世界に越境し、挫折と成長を経て、日常の世界に帰還する」共通点が指摘されています。

具体的な構成要素は以下の通りです。(あとで、一つ一つ解説しますので軽く目を通すだけで結構です。)

 

1:「留守もしくは閉じ込め」
2:「禁止」
3:「違反」
4:「捜索」
5:「密告」
6:「謀略」
7:「黙認」 
8:「加害または欠如」
9:「調停」
10:「主人公の同意」
11:「主人公の出発」
12:「魔法の授与者に試される主人公(贈与者の第一機能)」
13:「主人公の反応」
14:「魔法の手段の提供・獲得」
15:「主人公の移動」
16:「主人公と敵対者の闘争もしくは難題」
17:「狙われる主人公」
18:「敵対者に対する勝利」
19:「発端の不幸または欠如の解消」
20:「主人公の帰還」
21:「追跡される主人公」
22:「主人公の救出」
23:「主人公が身分を隠して家に戻る」
24:「偽主人公の主張」
25:「主人公に難題が出される」
26:「難題の実行」
27:「主人公が再確認される」
28:「偽主人公または敵対者の仮面がはがれる」
29:「主人公の新たな変身」
30:「敵対者の処罰」
31:「結婚(もしくは即位のみ)」

 

多くの昔話ではこのように共通した構造をもちます。結構、多くの分類があることに驚かれるでしょう。学校の物語の構成レベルでは「起承転結」しか教わらなかったので私も最初は驚きました。ただ、31種類も存在していますが、2時間映画では結構普通に詰め込むことができます。

 

物語の構造

それぞれのフェーズで色分けを行ったが、その意味は以下の通りである

  • 従来の竹取物語でも描かれている部分
  • 高畑監督の「かぐや姫の物語」で描かれている部分
  • 想像に任せている部分

この色分けにも注意しながら分析を行った。

 

かぐや姫の物語は

11:「主人公の出発」

からはじまる。月の世界のかぐや姫が地球に降ろされる。

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12:「魔法の授与者に試される主人公(贈与者の第一機能)」

本来なら地球に降りた主人公が魔法を手にするべきであるが、月の住人である主人公が魔法を失うことによる変化が起こる。

具体的に魔法を持つ月の住人が、地球を生きるための体(赤子)になる。贈与者というのは自然であり、育てる翁と媼でもある。

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13:「主人公の反応」

子ども時代に成長する主人公。

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14:「魔法の手段の提供・獲得」

自然と背することにより、地球を生きるための手段(丈夫な体と大地を愛する心)を手にする。

 

15:「主人公の移動」

都に移動して高貴な姫として育てられる

 

16:「主人公と敵対者の闘争もしくは難題」

本当は自然と共に生きたいのに「高貴な姫」に矯正される。

 

17:「狙われる主人公」

かぐや姫の名前が世に広がり、様々な男たちから注目を受ける

 

18:「敵対者に対する勝利」

この敵対者は難しく、男性を敵対者とするなら宴で認められたことが勝利といえる。


19:「発端の不幸または欠如の解消」

しかし、本当に「高貴な姫」ではなく所詮金で買った、本物ではない姫という男たちの主張によって、かぐや姫の心が揺れ動く。

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20:「主人公の帰還」

”たけのこ”として過ごした野山をさまよった後、宴の席に帰還する。


21:「追跡される主人公」

本来なら、敵に追いかけられるのが一般的だが、外の男たちの注目によって閉じ込められたり、自ら高貴な姫としての責務を全うする自制の心でもある。

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22:「主人公の救出」

主人公を救ってくれたのは媼の村の小屋を模した庭である。


23:「主人公が身分を隠して家に戻る」

本来は高貴な姫として生きる決意をした主人公が、庭で自然と接する。いつの間にか”たけのこ”が隠すべき身分になった。


24:「偽主人公の主張」

この偽主人公はだれかというのが難しいいが、おそらく”たけのこ”としての自分とかぐや姫の自分との葛藤といえる(潜在的には月の住民としての自分も混ざっている)。


25:「主人公に難題が出される」

高貴な身分の皇子、大臣達が求婚するために屋敷にやってくる。このシーンでは主人公が高貴な身分の方々に難題を出しているが、本質的にはかぐや姫が人とは何か、偽りのない本物の人とは何か考えていた。

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26:「難題の実行」

かぐや姫は、高貴な方々が示した難題の回答を一つずつ破っていく。


27:「主人公が再確認される」

高貴な方々を追い出したかぐや姫はお忍びで村の方角に向かう。そこで、着物を着たまま走りまわり、もう一度自然を愛する”たけのこ”に回帰する。

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28:「偽主人公または敵対者の仮面がはがれる」

御門が登場し、かぐや姫に動揺を与える。


29:「主人公の新たな変身」

かぐや姫は月の住民であることを思い出し、月に帰ることを翁と 媼に打ち明ける。

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かぐや姫の物語のすすめ 4 ネタばれの総評

現在公開されている「かぐや姫の物語」の動員数がおもわしくなく、かつ周りの人から聞く評価も悪いように思います。せっかく、千円以上のお金を払って見るのに、「まあまあ、おもしろかった(月並)」では勿体ないと思います。

なので、見に行ったけど、いまいちよくわからなった人や見ようかどうか迷っている人に対して、「どうやって見るか」という視点で少し語ってみました。

 

 

 

これ以降感想に入ります(ネタばれ注意)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回はネタばれを含めた総評行い、「どうやってかぐや姫の物語を見るか」考えようと思います。

 

方針

以上の視点から見ていきます。下に行くほど映画を見ないと知りえない情報(ネタばれ)が増えていきます。

前回までは許容されるレベルのネタばれでしたが、今回以降は映画の内容に沿ってまとめているので、見ていない人は自己責任でお願いします。

すでに見た人向けに書いています。今後、見る予定のある人は特に注意してください。 

 

 

 

 

 

総評

芸術作品として

かぐや姫の物語は娯楽作品に違いないが、かなり「芸術作品」や「技術作品」の方向に位置している。アトラクションのように映画館の椅子に座って楽しむ娯楽作品というよりは、自ら(目線で)動き回って鑑賞する美術館のような違いがある。

作品で表現されたテーマなど色々なことを考えながら視聴しなくては楽しめないし、そういう風に余計なことを考えながら視聴しても十分物語の進み方についていける。その理由は完成された構成の基、一つ一つのシーンが丁寧に描かれていたからである。

「地球(異世界)に来た主人公が挫折と成長を経験して月(元の世界)に帰還するストーリー」である。

詳しくは次回に。

 

 完成されていることの問題

アニメの表現の一つ上の次元に引き上げたが、これ以上の展望が絶望的である。技術的には空間の描写や線を生かした表現も発展できるだろう。しかし、作品として「かぐや姫の物語」のような輪郭線を生かした作品ジャンルが生まれるとは思わない。

こんなに手間とお金がかかった作品なのに、商業的には赤字になるだろう。つまり、商業的に続く作品はない完成された映画である。ジブリの資金力と高畑監督のセンス(こだわり)があってこそ成立する。

映画を見ながら、新しい作品を見れた驚きとともに、こういう作品は二度と見れないだろうという切なさも感じた。

 

かぐや姫の物語のテーマとは

風立ちぬは「宮崎駿=堀越次郎」「マンガ映画=飛行機」「映画製作=飛行機設計」という比喩を用いた「宮崎駿の自叙伝」でもある。

しかし、かぐや姫の物語はそういう比喩は明確に表現されていない。だからこそ、普遍的なテーマを投げかけている。このかぐや姫の物語のテーマは現代社会にない本物とは何か」である。

 

リアルなのにリアルでない世界

成長する”たけのこ”は自然を楽しみ、血が出て怪我もする危険な世界(=本物)で過ごす。

一方、映画館で作品を見る視聴者は安全に傍観している。決して入れない世界に対して、私たちはリアルに感じてしまう。このことで苦しめられる。手に届きそうで届かない自然の美しさの表現を目の当たりにした。

 

もうひとつ重要なことがリアルさを感じてしまうことなのである。冷静に考えて、写実的でない水彩画の風景に、頭身がアニメ的なキャラクター達などが存在している。

人が受け取る情報と実際の情報は全く違う。旅行の思い出と実際の写真を見比べると違和感を覚えることがある。思い出補正がかかったり、旅行ガイドなどの撮影技法で美しく見えたりする。かぐや姫の物語の描写は無駄なものを限りなく排除して受け取るイメージを抽象化している。

そして、輪郭線にこだわり受け取るイメージに深みを持たせることを目指している。動画と共に輪郭線が変化すると質感を見つけることができる。高畑監督がこだわった理由はこのことにある。

 

主張がややこしくなったのでまとめると、

  • 芸術作品であり、能動的に楽しむ必要がある
  • 完成された作品でこれ以上の展望は難しい
  • テーマは「現代社会にない本物とは何か」
  • 手に届きそうで届かない自然の美しさが見られる
  • 無駄なものを限りなく排除して受け取るイメージを抽象化

かぐや姫の物語のすすめ 3 ストーリーの考察

現在公開されている「かぐや姫の物語」の動員数がおもわしくなく、かつ周りの人から聞く評価も悪いように思います。せっかく、千円以上のお金を払って見るのに、「まあまあ、おもしろかった(月並)」では勿体ないと思います。

なので、見に行ったけど、いまいちよくわからなった人や見ようかどうか迷っている人に対して、「どうやって見るか」という視点で少し語ってみます。

下段に行くほどネタばれが増えていきますので注意してください。ただ、この作品の場合はネタばれしても十分楽しめると思います。

映画館に行こうか迷っている人はこのブログを見て「見たくなった」or「DVDレンタルで十分」と思った瞬間にページを閉じてもらって結構です。前者は早めに映画館に行ってもらいたいですし、後者は「かぐや姫の物語」のことを忘れて、来年の夏あたりにレンタルしてください。

 

これ以降感想に入ります(ネタばれ注意)

 

 

 

 

 

 

 

前回は映像表現についての話をしました。今回はストーリーの考察を行い、「どうやってかぐや姫の物語を見るか」考えようと思います。

 

方針

以上の視点から見ていきます。下に行くほど映画を見ないと知りえない情報(ネタばれ)が増えていきます。

前回までは許容されるレベルのネタばれでしたが、今回以降は映画の内容に沿ってまとめているので、見ていない人は自己責任でお願いします。

おそらく、すでに見た人、見るつもりがまったくない人向けに書いています。今後、見る予定のある人は特に注意してください。 

 

 

 

 

 

ストーリーの考察

物語のプロット(設定)や構成は皆さんが知っている、昔話のかぐや姫の物語(竹取物語)だった。

この部分に関して何らかの形で新しい話があるかと身構えていたが、肩透かしを食らった。だから、はじめて見るときは素直にストーリーを楽しんだほうがいい。

 

かぐや姫の物語の構造は昔話の機能分類を完全に踏襲している。

ウラジーミル・プロップ - Wikipedia

詳しくは別の機会で行うつもりであるが、あるシークエンスを除き、ほぼすべての描写がこの機能分類で記述できる。ある意味完全すぎて、退屈に感じる人も生じてしまう。

もう少し正しくいいかえると「完成された構造を持ち、既知のストーリー(みんなが知ってる昔話)である」為に、「平凡」な印象になる問題が生じる。例えば、物語の結末や展開を変えたり、突拍子もないサイドストーリーを加えたりすると退屈さが薄れるかもしれない。(こんなことをすると陳腐な物語になると思うが…)

しかし、これは本質ではない。

かなり、この「かぐや姫の物語」は映画に関するリテラシーの必要な作品なのである。「様々な切り口や立場で映画を見ることのできる人にとっては楽しめる作品」であり、悪い意味で言えば「視聴者の立場で(視聴者が欲しているものを)描いていない作品」でもある。

 

私の個人的な感想では十分楽しめたのだが、この作品には合っていない見方をするとつまらない。大雑把に言えば、この物語はストーリーを楽しむのではない。描写を楽しむものであり、演出を楽しむものであり、キャラの感情を楽しむものである。

 

その上で、ストーリーに意味が生じる。この内容についてはネタばれ前提で後日まとめます。

かぐや姫の物語のすすめ 2 高畑監督とジブリ

現在公開されている「かぐや姫の物語」の動員数がおもわしくなく、かつ周りの人から聞く評価も悪いように思います。せっかく、千円以上のお金を払って見るのに、「まあまあ、おもしろかった(月並)」では勿体ないと思います。

なので、見に行ったけど、いまいちよくわからなった人や見ようかどうか迷っている人に対して、「どうやって見るか」という視点で少し語ってみます。

下段に行くほどネタばれが増えていきますので注意してください。ただ、この作品の場合はネタばれしても十分楽しめると思います。

映画館に行こうか迷っている人はこのブログを見て「見たくなった」or「DVDレンタルで十分」と思った瞬間にページを閉じてもらって結構です。前者は早めに映画館に行ってもらいたいですし、後者は「かぐや姫の物語」のことを忘れて、来年の夏あたりにレンタルしてください。

 

これ以降感想に入ります(ネタばれ注意)

 

 

 

 

 

 

 

前回は映像表現についての話をしました。今回はメタ的考察を行い、「どうやってかぐや姫の物語を見るか」考えようと思います。

 

方針

以上の視点から見ていきます。下に行くほど映画を見ないと知りえない情報(ネタばれ)が増えていきますが、別に大丈夫だと思います。

 

メタ的考察(高畑勲ジブリについて) 

高畑監督はジブリにおいて、「火垂るの墓」や「平成狸合戦ぽんぽこ」などのアニメをを監督している。他にも監督、プロデューサーとして多くのジブリ作品に携わっている。詳しい内容が知りたいときは高畑勲 - Wikipedia や、かぐや姫の物語 公式サイトとか、高畑勲展 | 映画「かぐや姫の物語」キャンペーンサイト| au loves ジブリ とかを見ているとおもしろいかもしれない。

 

重要なことは、宮崎駿の師匠であり、二人で共にアニメ作品(時々実写も)を作っている。特に今回は「アルプスの少女ハイジ」の演出を行っていることも頭に入れて映画を見ると楽しめる。

 

一つの疑問点として、「なぜ、かぐや姫の物語(竹取物語)をアニメ化するのか?」考える人も多いと思う。この点に関して、本作のプロデューサーの西村氏も高畑監督に質問した。

スタジオジブリ高畑勲監督の映画『かぐや姫の物語』の原作を見て武者震い! - YouTube

上の動画で西村プロデューサーが「かぐや姫の物語」について語っているが、

要約すると「本作は50年前からの構想」「高畑監督はかぐや姫について日本人は知らないし、物語の疑問を解決するために作品を作らなくてはならない。」

 

そのかぐや姫の物語の疑問とは、

「かぐや姫は数ある星の中からなぜ地球を選び、去らなくてはならなかったのか?」

「3年半も地球にいるが、かぐや姫は何を考えていたのか?」

「原作で語られる、月の地で犯した罪と罰とは?」

 

本作ではこの疑問を解決するように作られ、西村プロデューサーは「本作ではすべての疑問が解決する」と語っている。確かに、これらの疑問に対する一定の回答は見つけることができる。

多分、「上記の3つの疑問の答えを探しながら見る」のが教科書通りの正しい見かたのように思う。しかし、より楽しむために視聴者一人ひとりがかぐや姫を中心とした全てののキャラクターの感情を推測しながら見てほしい。そのうえで、作中で語られる答えとは別の「それぞれの視聴者の答え」を導き出しても面白いと思う。

この答えを見つけた時、かぐや姫の世界と私たちの世界が一つにつながる。竹取物語は 平安時代のおとぎ話に違いないが、その根底にあるのは現代社会と通じる「何か」が存在する。高畑監督はこの日本最古の物語の中に現代人へのメッセージをのせている。

 

かぐや姫の物語のすすめ 1

先週から公開されている「かぐや姫の物語」の動員数がおもわしくなく、かつ周りの人から聞く評価も悪いように思います。せっかく、千円以上のお金を払って見るのに、「まあまあ、おもしろかった(月並)」では勿体ないと思います。

なので、見に行ったけど、いまいちよくわからなった人や見ようかどうか迷っている人に対して、「どうやって見るか」という視点で少し語ってみます。

下段に行くほどネタばれが増えていきますので注意してください。ただ、この作品の場合はネタばれしても十分楽しめると思います。

映画館に行こうか迷っている人はこのブログを見て「見たくなった」or「DVDレンタルで十分」と思った瞬間にページを閉じてもらって結構です。前者は早めに映画館に行ってもらいたいですし、後者は「かぐや姫の物語」のことを忘れて、来年の夏あたりにレンタルしてください。

 

これ以降感想に入ります(ネタばれ注意)

 

 

 

 

 

 

 

まず、率直な感想として「おもしろい所とつまらないところが混在していた」ように思います。

何が面白くて、何がつまらなかったかを考えながら、どういう風に見るべきか考えていきます。

 

今後の方針

  • 映像表現について
  • メタ的考察(高畑勲ジブリについて)
  • ストーリーの考察
  • その他思ったこと
  • まとめ

以上の視点から見ていきます。下に行くほど映画を見ないと知りえない情報(ネタばれ)が増えていきますが、別に大丈夫だと思います。

 

映像表現について

CMなどを見れば分かりやすいが、かぐや姫の物語は独特の映像表現に仕上がっている。かぐや姫の物語と風立ちぬの広告を見比べてみる。

 

http://image.eiga.k-img.com/images/movie/77933/poster2.jpg?1382521357

 

http://eco-carpet-cleaning.com/wp-content/uploads/2013/08/f1a0b6b119e0404f27050e5a33f18bdd.jpg

 

 

 いうまでもなく、同じジブリ作品だが、画風は全く違う。「風立ちぬ」は見なれたアニメの表現であり、かぐや姫の物語は鉛筆画とも水彩画とも言えるような形である。

好き嫌いは個人の好みであるが、技術面で言うと「かぐや姫の物語」ではより多くの画面処理を必要とする。

二人のキャラクターの輪郭線に注目していただきたい。風立ちぬの堀越次郎は輪郭線の切れ目がなく、かぐや姫の物語のかぐや姫は輪郭線の切れ目が見られる。かぐや姫の物語に見られる、数ミリの輪郭線の隙間が後々に厄介なものになって、より多くの作業工程を生む。

実際にアニメを作る時、着色は輪郭線を基準に描かれる。わかりやすく言えば輪郭線の内側を塗りつぶしながら描くことで多くの枚数(風立ちぬで約27万枚)を処理していくのだ。

しかし、かぐや姫の物語では輪郭線が切れているため、線画(輪郭線の切れ目あり)と動画(輪郭線切れ目なし)の二種類を作らなくてはならない。つまり着色用の動画を作り、その輪郭線を消して、その上に水彩画タッチの線画を上乗せして作品にするのだ。

詳しくはNHKのニュースウォッチ9(2013年10月30日放送)で公開されているようだ(未視聴)。

 

かぐや姫の物語はこのような工程によって、生きた線と幻想的な淡い着色の動画の融合が行われ、新しい映像表現の道を開拓した。単なる一例を示したが、他にもグラデーションの彩色やCGとの調和などはすごい。

しかし、正直な話、映像に興味のない視聴者にとって工程の数などどうでもいい。そして、シーンごとにキャラクターの描き方にブレが生じている(かぐや姫の喜怒哀楽で描き方は大きく変わる)。これを、見難い(わかりにくい)と感じる人もいると思う。

 

かなり難しい問題である。好き嫌いと技術の善し悪しは違う。

そのような技術的背景を考慮して劇場で無料配布された6分間のプロモーションビデオを見ていただきたい。

 

6分 ジブリ かぐや姫 プロローグ 〜序章〜 11/23より公開 Studio Ghibli "Kaguya-hime no Monogatari " - YouTube

 

このPVの映像が、おそらくかぐや姫の物語の技術的な表現のすべてを表している。キャラクターや自然の動き、背景の造形美に対して「生命感」や「美しさ」、「新しさ」を感じたりしなかった人にとって多分「かぐや姫の物語」はお勧めできません。

「どうやってみるか」を語ると言った以上、私が「この映像に感動しましょう!そうすればかぐや姫は楽しく見られます!」みたいな主張する必要がありますが、無理ですよね。

だから、映像にあまり肯定的な感情を持たずに「ジブリだから」というような理由だけで映画館に足を運んでも良くないです。

 

わずかでも映像に興味を持った人は次回も読んでみてください。

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この京都創作研究所とは、マンガアニメなどのカルチャーに関し、感想やこれに隣接する情報発信を行い、これらの文化的創作物の多様性の喪失に留意しつつ、諸作品の好評を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

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